こんにちは
来週から学生になるミサキです。
学生と言っても、週一の夜間短期コースですけど、、、
本業がコロナの影響で壊滅中なので、何かこの際に勉強しようと色々探していました。
改めて思うんですけど、本当に今の世の中、選択肢が多いですよね。
と言うか、多過ぎる。
選択肢が多過ぎると、あれもこれもと余計に考えてしまって却って選べない。
もういっそのこと
「このコースかあのコースかどっちか選べ!」
みたいな方が良いのかも知れません。
少なくとも決断にかかる時間は圧倒的に少なくて済むでしょう。
よく考えてみると、人生も選択の積み重ねですよね。
“あの時こっちを選んだから、こうなった”
“あの時あっちを選んでいたら、今頃違う人生を送っていただろうか”
振り返ってそんな風に考える事は、誰しもあるはずです。
思い起こせば、これまで僕も数々の選択/決断をして来ました。
今こうしてオーストラリアで暮らしているのも、僕自身が選択した結果なのです。
という事で今回は、
「何故僕がオーストラリアに移住することになったのか」
について書いてみたいと思います。
オーストラリアに来た理由
まず始めにはっきりと書いておきたいのは、
「移住しよう」
と決めてこちらに来たのではないという事。
そもそもの始まりは、いつの頃からかずっと自分の心にあった
「一度は海外で生活してみたい」
という思いからでした。
僕はシドニーへ来たのは今から12年前ですが、実はその前にも一度オーストラリアに来ています。
当時僕は29歳で、いわゆる“ギリホリ”(ワーキングホリデーの年齢制限30歳ギリギリだから)というやつで西オーストラリアの州都、パースで1年暮らしました。
なので、正確に言えばそこが僕とオーストラリアの始まりだった訳です。
では何故、オーストラリアだったか?
実はこれという理由はないんです。
当時、日本とワーホリ制度を提携している国はそれ程無かったし、僕は行くなら英語圏と決めていました。
その時点でカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの3国に絞られました。
おそらくイギリスも選択肢にはあったと思うのですが、興味がなかったのか特に調べる事もしませんでした。
そしてカナダは寒そうだという事で即却下。
という事で、アッという間にオーストラリアかニュージーランドの二択になりました。
当時会社員として、東京で忙しく働きまわる毎日。
その反動からか、行くならどこか小さな田舎が良いと思い、ニュージーランドに決めました。
そう、最初はオーストラリアじゃなかったんです。
始めはニュージーランドの自然や、田舎暮らしを夢想していました。
ですが時と共に、他のもっと現実的な事が頭に浮かぶようになりました。
それは例えば年齢の事でした。
“ギリホリ”で行くという事。
ワーホリビザはファームなどで働いてセカンドビザを取らない限り、1年だけです。
その限られた時間で何をするか。
「その歳でそういう事をするのはリスキーだよ」
当時、会社を辞める事を伝えた時に先輩に言われた言葉。
ワーキングホリデーの1年間をどう過ごすかは、その人次第です。
「ワーキング」だから絶対に働かないといけない訳ではないし、
1年間その国を旅して廻ったり、何もせずただゆっくりと過ごしたりしても勿論構わない。
ただ、いつからか僕のワーホリの第一目標は「働く」になっていました。
それも、現地の会社で現地の人と、自分の専門職で。
そうなると、僕の業界(イベント)を考えるとどうしてもオーストラリアの方が良い。
それでニュージーランド行きは止め、パースに飛びました。
仕事第一と言いながら、何故シドニーではなくパースにしたのか。
その話はまた次回に譲るとして、結果的に僕はパースで現地の映像会社に仕事を得る事ができ、
おそらくそのお陰もあって後にシドニーの会社でも働く事ができました。
そしてその会社がスポンサーになって、僕は永住権を取得するに至った訳です。
あの時ニュージーランドに行ってたら、どうなってたやろう??
当たり前ですけど、それは誰にも分かりませんよね。
ただ人間、自分で決めた事なら一生懸命頑張れると思います。
だからもしあの時ニュージーランドへ行っていても、やっぱり同じようにチャンスを掴んでいたんじゃないかな。
そう思います。
人の意見やアドバイス、情報も大事ですが、最終的に決めるのは自分であるべきです。
そうする事で自分の行動、ひいては人生そのものに責任を持てる。
自分の不幸や境遇の悪さを嘆いて、それを親や他人のせいにするのだけは絶対にしたくない。
やっぱり自分の今の境遇は、これまでの自分が積み重ねてきた選択の結果だと思うからです。
という事で、今回は僕がオーストラリアに来た経緯について書いてみました。
ではまた!
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