転がる石の軌跡

ミサキ ヨーイチの略歴

10代

小、中、高と順風満帆

体育祭、文化祭といった「お祭り」好きで、学校大好き人間だった。

現役で関西一のマンモス大学に入学。

期待と希望に満ち溢れていた大学生活だったが、うまく馴染めず初っ端から挫折。

付き合っていた彼女とも別れ、どん底へ

状況を変えたいのに、何の行動も起こせず悶々とする日々。

結局ほとんど学校に寄り付かず、大学4年間という貴重な時間を無為に過ごす。

振り返り

大学が詰まらなく感じたのは、その「自由」の為だったと今は思う。

何故なら小、中、高は、基本的にやることが全て与えられる場所。

学校に行けば友達が居るし、授業はもちろんクラブ活動、学校行事など、やることは全て用意されていた

それが大学に行けば、全てが自分裁量の自由になる。

つまり、自分から行動して行かないと、何も起こらない世界。

当時の僕は、その環境の変化に気付けていなかった。

大学に、学校にさえ行けば何か楽しいことが待っていると思っていたのだ。

本当に実感としてこのことに気付けたのは、卒業を間近に控えた4年生の頃だった。

そして、この経験が大学卒業後の僕の行動力の源泉となる。

20代(行動!行動!行動!)

22歳(八重山の自然と人に救われる)

暗黒の大学4年間を引きずり、就職活動もろくにしないまま卒業を迎える。

さすがにこのままではヤヴァイ!!(梅野源治風)

と思い、とにかく環境を変えようと「住み込みの仕事」を探す。

沖縄県八重山諸島の小浜島に仕事を見つける。

それまでずっと大阪で育って来た自分にとって、日本最南端の島々での暮らしは最高に刺激的だった。

今振り返っても、幸せで充実した日々だった。

暗黒の4年間で荒んでいた僕を救ってくれた、特別な場所。

八重山大好き。本当にありがとう。

23〜29歳(イベント業界へ)

それだけ好きだったので、島に留まることも考えたけど

「これからは、やりたいことをどんどんやって行こう」

と決意。ノートにリストを書き出してみる。

リストの1つ

「一度は東京で働いてみたい」

を実現する為に、東京へ。

出版関係の仕事を始めるも、1年と持たず退職。

その後半年間仕事が決まらず、ヒモ状態に陥る中、

「『祭り好き』やし、イベント業界とかおもろそう」

と思い立つ。

紆余曲折を経て、25歳でイベント業界へ。

照明、音響、映像といった技術職の中から、映像を選ぶ。

下積みを経て、ようやく仕事も面白くなっていた頃

「一度は海外に住んでみたい」

という気持ちが抑えきれなくなる。

29歳で仕事を辞め、西オーストラリアのパースへワーホリに行く。

現地の映像会社に雇われるも、ビジネスビザが下りず、僅か1年で帰国へ。

日本帰国後も「物足りない、まだまだ自分は海外でやれる」という気持ちが消えず、今度はシドニーにある大手の映像会社へ履歴書を送る。

3日後に掛かって来た電話で全てに対してイエスと答えていたら、シドニーへ面接に行くことが決定。(当時の英語力では、分からない時はとりあえず全部イエスと言っておいた(^_^)v)

振り返り

大学で絶望的に時間を無駄にしたことへの反動で、20代はとにかく「やりたいこと」をどんどんやって行った。

自分が好きな仕事を見つけられたのも、ラッキーだったと思う。

イベント業界は時間が不規則で、体力勝負。

映像機材は重いので、肉体労働でもある。

東京での下積み時代はキツ過ぎて、辞めたいと思ったことも勿論ある。

でもそこを粘り強く頑張れたからこそ、僕は今こうしてオーストラリアという異国の地で仕事をし、暮らせているのだと思う。

30代(海外生活スタート)

2008年、8ヶ月かかってようやくビザが下り、30歳でシドニーへと旅立つ。

以降5年半、正社員として数々の現場をこなす。

(この間、ビジネスビザが切れるタイミングで永住権を取得)

2013年、36歳の時に会社を辞め、ヨーロッパを2ヶ月間旅する。

ヨーロッパから戻ると、フリーランスとして仕事を再開。

様々な映像会社や制作会社などと仕事を共にする。

振り返り

30代は海外生活を通して本当に多種多様な人々と出会い、興味深い、面白いことも沢山経験出来た。

そして会社を辞めて、フリーランスになったのも大きな節目。

正社員時代と比べて時間単価が大幅に向上し、プライベートの時間も増やせる等、我ながら良い決断を下したと思う。

また仕事だけでなく、趣味のサーフィンや旅行など公私共に充実した10年だった。

40代(新しい目標)

2018年、思う所があり半年間仕事から離れる。

2度目のヨーロッパへ。

東欧、ドイツ、北欧を廻る。

2019年、オーストラリアに帰国後、気持も新たに仕事を再開。

これまで無関心だったお金の勉強も始める。

2020年3月、コロナショックで全ての仕事がキャンセルに。

計画していた会社化の延期を余儀なくされる。

2020年4月、株式投資を始める。

2020年6月、ロックダウンの有り余る時間の中、ブログ「転がる石」を始める。

2021年7月、自分の会社をスタートさせる。

2022年、約4年振りに日本へ一時帰国。これからの目標をオーストラリアと日本の二拠点生活に定める。

当ブログのコンセプト

沢木耕太郎著「深夜特急」の対談の中に、こんな話がある。

「世界には2種類の場所がある。つまり、放っておいても物事が起こってしまう場所と、自分の方からアクションをしかけないと物事がなかなか起きないという場所。前者は、東南アジアや西アジア、中南米といった地域で、こちらからアクションを起こす前に、既に周りで無数の物事が起きてしまっている。日本やアメリカは後者に属するでしょう。日常生活の形が既に成立していて、抵抗無く決まり切ったルーティーンをこなしていくことが可能な社会……」

これこそ、大学時代の僕が気付いていなかったこと。

自分の住んでいる世界が「自分からアクションをしかけなければ、何も起きない世界」だということを、当時の僕は理解していなかった。

そして悶々と、無為に過ごした4年間が終わる頃、「何もなかったな」という失望と共にやっとそれに気付くことが出来たのです。

略歴にも書いた様に、それからは何事も「自分から」という思いの元に行動するようになりました。

そのお陰か、大学卒業から現在まで、本当に充実した人生を送って来れています。

皆さんはどうですか?

今、どんな人生を送っていますか?

大事なことは、常に自分で考え、行動すること

当ブログでは、オーストラリア生活情報を中心に、僕が人生で行動し、そこから学んだことなどを発信しています。

海外生活に興味がある方、オーストラリア移住を考えている方は勿論、学生時代の僕の様に行動を起こせず、何だか悶々と日々を過ごしている方。

やりたいことがあるのに、自分で自分にフタをしてくすぶっている方。

このブログが、そんな人たちの行動を促す一助になれば幸いです。

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2023/5/17