オーストラリア生活 英語

「海外で働く」という事

2021/5/11

こんにちは

よく、海外で仕事をする際の最重要項目として「語学力」が挙げられますが、

実際の所どうなのでしょうか?

もちろん職種にもよるのでしょうが、僕自身海外で長く働いてきて感じる事は

「課題に対するアイデアがあるか」

というのが一番大事だという事。

確かにオーストラリアで働き始めた当初、言葉が不自由なせいでフラストレーションが溜まることは多かった。

それは本当の事だし、「英語がもっと上手かったら」と悔しい思いもたくさんしました。

それでも、例えば機材の設営中に想定外の問題が起こって作業が止まった時など、

「こうすれば上手くいくんじゃないか」

と妙案が浮かんだ時は、何とかそれを伝えようと必死に話しました。

そしてそれが実際に良い案だった時、仲間は必ず耳を傾けてくれました。

僕の拙い英語でも、それが今直面している問題を解決する良い案ならば人は聞いてくれる。

そういう体験は僕に自信を与えてくれました。

そしてもう1つよく覚えているのが、以前勤めていた会社に居た、とてもお喋りなイギリス人の事。

経験も技術力もなく、おそらくそのせいで自信もないのか、

とにかく彼はひっきりなしに喋る男でした。

ただ残念なことに、彼の話のほとんどが内容のない空っぽなものでした。

どれだけ流暢な英語を話そうと、中身の無い話に人は耳を傾けるでしょうか?

(彼の独特のブリティッシュ・アクセントは皆からかなり鬱陶しがられていたが、

それはまあまた別の問題…)

それとは対照的に、たとえ辿々しい話し方であっても、そこに良いアイデアがあった場合

人はそちらに耳を傾けてくれるものです。

ここまで読んで頂いて、どうでしょう?

経験の大切さ、そして「アイデアがあるかどうか」の大切さを感じませんか?

ワーホリ時代、僕は現地の映像会社で働く事ができました。

当時周りに居た日本人によく言われたのが、

「ミサキさんはやっぱ英語ペラペラなんでしょう?」

「良いな〜、私もジャパレス(日本食レストラン)じゃなくて、現地の会社で働けたらな〜」

などなど。

でも当時の僕の英語力なんて、そういう人たちとそれ程変わらないレベルだったはずです。

では僕にあって、その人たちに無かったものは何なのでしょうか。

1つは「経験」です。

当時僕は28歳で、30歳までという年齢制限のあるワーホリビザ保持者の中では、

いわゆる「ギリホリ」と呼ばれる部類でした。

もちろん僕より年上の人たちとも知り合いましたが、ワーホリ時代に出会った多くの日本人が20代前半で、社会人経験が殆ど無い人たちでした。

僕は22歳で大学を卒業し、28歳でパースへ旅立つまで6〜7年間日本で働きました。

無職に近いフリーター、ヒモのような生活を送っていた時期もあったので、

世間一般で言われるところの「社会人」としての年数はもっと少ない。

それでも東京で勤めた映像会社での経験、そしてそこで身に付けた技術のお陰で、

僕は今こうしてオーストラリアに暮らすことが出来ています。

東京は世界でも有数の大都市です。

その東京で、文字通り毎日毎日休み無くがむしゃらに働いてきました。

そんな生活を疑問に思う事もよくあったし、最終的にはずっとそんな生活を続けている自分を

想像出来ず、僕は会社を辞めて海外へと旅立ちました。

それでも今振り返ると、当時のあの忙しい日々があったからこそ、

僕は今ここで暮らせているのだなぁと実感させられます。

確かに僕の仕事はいわゆる「技術職」です。

でもどんな職種であれ、日本できちんとやれる人ならば海外でだってやれるのだと、

僕は信じています。(その逆もまた然りだと思います)

そして2つ目は正にこの「思い」です。

またワーホリ時代の話になってしまいますが、僕のように日本でバリバリ働いた経験がある人たちでも、英語が出来ないということで尻込みしていた人は多かった。

「もう少し英語が上達してから」

それが彼らの言い分でした。

もう少しって、どれ位なんだろう?

それに、どれ位の時間を考えているんだろう?

ワーホリビザの期限は1年間だけ。

僕は「もう少し英語が上達してから」なんて言っている暇はないと思い、

2ヶ月ほど語学学校に通った後、すぐに仕事探しを始めました。

まだ学校に通っていた間に履歴書の書き方を教えてもらい、

何度か添削してもらって出来上がった履歴書を、インターネットで調べた現地の映像会社に郵送しました。

確か4,5社位送ったと思いますが、1ヶ月程待っても何も音沙汰がない。

電話して問い合わせたいとも思ったのですが、さすがに英語での電話に自信がなくて出来ませんでした。

やっぱり駄目か…

そんな思いも頭をよぎりましたが、駄目なら駄目できちんとした答えが欲しかった。

それで結局、僕は直接会社を訪問することにしました。

電話が出来ないのだから、それくらいしか方法がなかった。

そこで履歴書を送った数社の内、まずは第一志望の会社に行くことにしました。

(以下、忘れもしない当時のやり取り)

「ハロ〜」

ドアを開けて、受付の女性に声を掛ける。

「1ヶ月前に履歴書を送ったのですが…」

「履歴書?いつ送ったの?」

「(だから・・・💢)1ヶ月程前(て言うてるやろ)ですが、見て頂けましたか?」

「う〜ん、私は見てないわねぇ。まだ届いていないのかも」

そんなはずはないだろう。

いくら(当時の)オーストラリアとはいえ、手紙の郵送に1ヶ月もかかるはずがない。

それとも何か手違いがあって届いていないのか?

「あの、ここにもう1枚持ってきているので、見て頂けませんか?」

(念の為に持ってきていた履歴書を手渡す)

「オーケー、では担当の者に渡しておきますね」

僕は礼を言うと、そそくさとその会社を後にした。

そしてなんとその次の日に、その会社から「面接に来ないか」と連絡が入ったのです。

オーストラリアの地方都市だし、日本に比べたら何事もゆっくりと進むだろうから辛抱強くいかないと…

そんな風に思っていた僕は、その展開の早さに逆に面食らったほどでした。

緊張しながら面接に行くと、「じゃあ実際にどれだけ出来るのか見てみよう」という事で次の現場に入れてもらう事になりました。

海外での初現場は少し気負い過ぎて臨んだけど、いざやってみると大した事はなかった。

むしろ日本でのドームクラスのライブ現場の方が、断然緊張しました、、、。

初現場を上手くこなせた事で気に入ってもらえたらしく、それから頻繁に仕事が入るようになり、

気が付けば東京に居た頃と変わらない程の忙しい日々を送るようになっていました。

今から振り返れば、履歴書を持って会社を訪ねたあの日から、

トントンと物事が進んだように感じます。

もしあの時、全く連絡がないからと諦めていたらどうなっていただろう?

僕のワーホリ経験は全く違ったものになっていたかもしれません。

前にも書いたように、僕のワーホリの第一目標は「働く」という事でした。

それも、現地の会社で現地の人と、自分の専門職で。

それは東京でせっかく手にしたキャリアを捨ててまで来た自分にとって、

簡単には譲りたくない条件でした。

ただなんとなく海外へ行ってみたい。

それもただの旅行ではなく最低でも1年はそこに住み、暮らしてみたい。

そもそもの始まりは、それだけの思いでした。

大学を出たらすぐに行きたい。

そう考えてもいました。

結果的にはその思い通りにはいかず、実際に日本を離れるまで6〜7年掛かりました。

それでも、そのお陰で僕の「思い」はもっとずっと明確で、

危機感を伴った強いものになったと思います。

強い思い、気持ちってやっぱり大切な要素だと改めて思います。

これから海外へ旅立とうと思っている人に、今回のブログが少しでも響けば嬉しいです。

これからもお互い頑張りましょう。

ではまた!

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